私達は世界に1つだけの本当に善い家を作りたい

家族がいつまでも笑って集まる、そんな家を作る事が私達の使命です

建峰株式会社
本物と健康を追求する家づくり

私達は世界に1つだけの本当に善い家を作りたい

家族がいつまでも笑って集まる、
そんな家を作る事が私達の使命です

出会い
大切にしたいこと

私の家ではひとつのルールがある。それは食事中にテレビを見てはいけないということ。「食事中は家族の会話を楽しむこと」これは私が小さい時から父親に教えられて来たことだ。自分が父親になってからも同じ事を教えている。大人になった今、この理由が分かる気がする。
ここで少し父親の事を話そうと思う。
私の父親は滅多な事では怒らない。しかしこの時だけは怒りをあらわにした。それは私と弟がテレビを見てばかりで、母の話を全く聞いていなかったからだ。私達の目の前でテレビを壊してしまった。それを見て私たちは唖然としていた。ただ父はというと後で母に叱られていた。そんな事から、食事中はTVを見ないという事がルールになったのだ。そんな私も今ではもう40代。当時の父と同じ位の年齢だろうか。時間が経つのはとても早いと感じる。気がつけば、もう年の瀬だ。里帰りの時期が近づいて来た。妻と話をして、今年はいつもよりも長く実家に居ようと決めていた。私と妻は大学で知り合った。私が岐阜県山県市、妻が愛知県名古屋市の出身ということで他の友達よりも共通の話題も多く、惹かれ合うのにそんなに時間はかからなかった。「今年は雪降っているかな」妻が言った。私達の住む神奈川県ではあまり雪が降らない。妻の実家の名古屋も雪があまり降らないから、妻はいつも楽しみにしている。
私はそんな妻の楽しそうな顔を見るのが好きだ。雪なんて降らなければとは思うが、妻の笑顔が見られるのなら、降ってもいいかと思った。窓の外を見ると、子供の頃の情景が浮かんでいるようだった。

家族
大切にしたい物

十二月三十日 朝六時、妻の声で目を覚ました。妻はどうやら五時に起きて準備をしていたみたいだ。なんで五時に起きなかったのだろうと悔やまれるがまあ仕方ない。寝ていたのだから。
朝八時、私達は新横浜から岐阜羽島行きの新幹線に乗って駅に着いたのは十時頃。神奈川と比べるとやはり寒い。今年はもう雪が降っているみたいだ。それを聞いた妻の目は、子供の様にキラキラしていた。息子達も喜んでいる。この後、妻の大好きなケーキ屋「arcoiris」に行く事になっている。スペイン語で虹と言うらしい。店に着くと早々、妻はいつものモンブランを注文した。「早く家に帰って食べたいな」と子供の様な表情で言っていた。
迎えに来てくれた弟の運転する車で実家に帰ると、母がおせち料理の準備をしていた。「あら、思ったより早かったのね」母が言った。「今年は少しでも長く実家で過ごそうと妻が提案してくれてね。」と言うと「本当できた子だわ。あんたとは大違い!」隣で妻が笑っている。荷物を二階に運んでいると、妻と子供達はコタツでみかんを食べようとしていた。妻の横に座り、ふと、横顔を見て、出会った頃を思い出す。なんだか懐かしい。壁には子供の頃の落書きが今でも残っていた。
あの頃は、結婚して新しい家に住むなんて考えていなかったし、卒業したら地元に帰るつもりだった。都会よりも田舎の方が好きだからだった。しかし今となっては仕方ない。そんな事は考えずに年末の一家団欒を楽しもう。

団らん
大切にしたい住み方

リビングのストーブの上には大きな鍋におでんが入っていた。母が作るおでんは別格だ。とてもいい匂いだなと思いながら部屋を見る。部屋の壁には子供の頃の「ラクガキ」「ビックリマンのシール」「喧嘩した時の跡」が、今でも同じ様に残っている。ただ、時間が経ったせいか、あの頃よりも随分色あせている。
「俺が子供の頃と変わってないな」とボソッと呟くと、母が「あんた達が大人になって新しい家建ててくれるまでそのままだよ。」と笑いながら言った。それを聞いた妻が「私、貴方の実家好きだよ。古くて確かに寒いけど、どこか温かさを感じるの。この畳の感じもすごく好き。私はマンションだったから、こんな一戸建てに昔から憧れていたの。木の感じが大好き。」と言った。
私は逆に妻のマンションがとても高級に見えていた。大人になったらこんな寒い家じゃなく、高級マンションの様な家に住んでやると決めていた。でも実際は妻が思う感じの家になっていた。私達の家はまだまだ十歳だけど、これから家族の歴史を刻んでいく事になる。二十年、三十年経った時に、この家で良かったとそう思える思い出を作っていこうと心に決めた。

思い出
大切できることの大切さ

この家に引っ越してから今年で十回目の年末を迎える。
テレビのニュースからは毎年の様に同じセリフが聞こえてきた。使い慣れたキッチンからは妻の手際の良い料理の音が聞こえてくる。時計の針は夕方の六時を指していた。
「あなた、子供達を呼んできて」妻が私に言った。
部屋で勉強をしている長男を呼びに行った。この子も今年、受験生か・・・と思いながら長男に声を掛ける。「飯の時間だぞ。〇〇はどこ行った?」「さっき素振りをしに外に行ったよ。いつもの所に居るんじゃない?」長男はそう言うと立って、リビングに向かっていった。私も続いて下に戻ると、次男が外から帰ってきていた。時計の針は六時三十分を過ぎようとしていた。
俺はこの時間が一番好きだ。いつもの喧騒から少し離れて、永遠とも思える時間を過ごす事が出来る。ふと天井を見上げると、シーリングファンが静かに回っていた。「あなた早く食べないと冷めちゃうでしょ」妻が言った。和気あいあいとした会話が広がっている。さあ、家族団欒の始まりだ。食べないと冷めちゃうでしょ」妻が言った。和気あいあいとした会話が広がっている。さあ、家族団欒の始まりだ。

出会い
大切にしたいこと

私の家にはひとつのルールがある。それは月曜日の夜は必ず家族でご飯を食べる事。これは私が小さい時からの決め事だ。何故だかは分からない。私は名古屋市名東区にある十二階建てマンションの七階に住んでいる。マンションの窓からは名ニ環がよく見える。私はここで生まれ育った。今は神奈川県で家を建てて、そこで主人と子供の二人の計四人で過ごしている。
私達夫婦は共に東海地方の出身だ。私が愛知、主人は岐阜。大学で神奈川に行ってそこで知り合った。私は主人の素朴な感じにすぐに惹かれてしまった。岐阜なんて隣だけど行ったこともないし、「山県」?なんて、初めて聞いた名前だと思った。あの頃はこの人と結婚するなんて全く考えていなかった。ただ付き合っているうちに好きとか嫌いとかじゃなくて、一緒にいると、本当に楽だなとそれ位にしか考えていなかった。でも今では良かったと思っている。休日はダラダラ過ごす夫だが、なんだかんだ優しい。文句も言いたくなるが、元々他人だから仕方ない。そう思いながら、ふとカレンダーに目をやると、今日は十二月二十九日。明日の朝、新幹線に乗って旦那の実家に帰る日だ。
そういえば今年も帰省の時期が近づいてきた。今年はいつもよりも早く帰ってお互いの実家で過ごす時間を長く取ろうと夫婦で決めていた。

家族
大切にしたい物

十二月三十日。
私は朝五時に目を覚ました。早く帰省の準備をしなくてはいけない。主人と子供はまだ眠っている。相変わらず、幸せそうな寝顔だなと思ったが、そうは言っていられない。きっと昨日準備すると言って何もしていないだろうから・・。私は1週間帰省する準備を終わらせ、朝六時、全員を起こした。ご飯も食べさせて、朝七時に家を出た。八時発、ひかり号岐阜羽島行きに乗ってから主人に言った。「昨日準備しずに寝たから、岐阜に着いたらケーキご馳走してね」主人は「わかったよ。いつもの場所に行こう」とそれだけ言った。
駅に着くと、外で主人の弟が迎えに来ていた。主人が「悪い。いつものケーキ屋さんに寄ってくれないか?」と言った。すると弟が「兄貴、また怒らせたの?」と・・・。主人の弟は幾分か主人よりも気が利く。きっと鈍感な主人の下で育ったからだろうと思った。すると「じゃあ帰りが少し遅くなると家に連絡入れておくよ」とさすが、気の利き方が違う。私はとても感心した。子供達はケーキが食べれることに大喜びだ。私は家に帰っている間、岐阜の街並みにを堪能した。気がつくと、山県〇〇kmと看板が見えたのを最後に、私の意識は車の暖房の中に消えていった。

団らん
大切にしたい住み方

一月三日の朝。私達は車で岐阜駅に向かった。もちろん主人の弟の車でだ。十時十五分発の快速名古屋行きに乗る予定が、快速に乗ってしまえば電車で約三十分。岐阜は意外に便利だなって思う。名古屋駅からは地下鉄東山線に乗り換えて、本郷駅まで向かう。この地下鉄は中学の頃からよく乗っているから、私はなんとも感じない。駅に着くと外は正月だと言うのに、多くの人がいた。
バス乗り場の付近に母が立っていた。私より先に子供達が気づいたようだ。「おばあちゃん」子供達の声で母が振り返った。寒さでこわばっていた表情が少し緩む。会話も早々に切り上げ車に乗り込んだ。「岐阜の方が寒いでしょ。雪は降ったの?」と主人に話しかける。主人は「年末は珍しく降らなかったよ。ただとても寒いよ。」と答えた。駅から家までは車で十分。あっという間に着いた。ロビーからエレベーターに乗って、部屋に行くと、外の寒さが嘘みたいだ。年に一回久しぶりに全員がそろった。これから家族団欒の始まりだ。 主人が小声で言った。「お義母さんの料理おいしいから楽しみだな」と。そんな声を聞いて、私はこの人と結婚して本当良かったって思った。「じゃあ私は手伝ってくるからゆっくりしていてね。」主人にそう言って私はキッチンの方に行った。子供達はソファでテレビを見ていた。
キッチンに行くと、母がいつもの料理を作っていた。そうだ、「きしめん」だ。うどんの麺は母の手作りだ。昔から料理の好きな母はなんでも手作りにこだわるというよりも、ストレスが溜まった時に作ったら、良い発散になったらしくて、それから「はまった」らしい。本当母らしい。自由な人だ。私はふと気になった事を聞いてみる。「なんでお父さんと結婚したの?」母は答えた。「たまたまよ、たまたま。あの人が売れ残りそうだったから私がもらってあげたの。」を笑いながら言っている。父は聞こえないフリをしている。いつも元気な母だが、本当は体が弱い。だから昔はよく、一人しか産んでやれなくてゴメンネと言っていた。でも私は両親の愛をもらっているから満足だ。最後に小さな声で「でも ね、あの人じゃなきゃダメだったの。私が病気で弱っている時、仕事を休んで病院に行ってくれたわ。本当感謝している。」と。これが本当のようだ。こんな嬉しそうな母は初めて見た。さあ、出来上がったみたいだ。テーブルでは男四人が待っている。一家団欒の始まりだ。

思い出
大切できることの大切さ

家に帰ると、またいつもの日常が待っていた。朝お弁当を作って、主人と子供を見送ったあと、私も仕事に行く。職場は近くのスーパーだ。寒空の下を歩いていると、ふと昨日のことを思い出す。昨日は日曜だ。家族全員でご飯を食べていた時の事だ。主人の顔を見て、ふと思った。何故この人と出会ったのだろう、と。ぼーっと見ていると、主人が「どうしたの?」と聞いてきた。私は「なんでもないよ」と答えた。こんな当たり前の会話がなんだか楽しい。私も母と同じく、主人と出会えて良かったと思っている。
夕方家に帰ると、見慣れた光景が広がっている。使い古したスリッパ、傷ついたフローリング、子供が傷つけた壁。こんなところが私は好きだ。昔は傷つく度に文句を言ったが、いつまでも新しいままのものなんてない。せいぜい半年だ、と諦める事にした。リビングに行くと、一つの封筒があった。表には、〇〇へと書かれている。開けてみるとそこには主人の子供っぽい字で「いつもありがとう」と書かれた手紙と、行きたかったレストランのチケット。そうだ、今週末は結婚記念日だ。覚えててくれたんだ。私は涙が溢れてきた。天井を見上げると、シーリングファンが静かに回っていた。

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